昭和は、良くも悪くも、現代日本の礎となった時代でした。 私たちが、何かを見失った時に戻るべき原点が、ここにはあるように思われます。 世の中の全ての仕組みが、触れることができ、理解することができる、と誰もが信じることのできた時代。 それは日本の社会にとっても幸せな少年時代だったのではないでしょうか。 現実の社会で、先が見えなくなったり、行き詰まったときには、思い切って気分を変えて、原点に戻ってみることが大切だと思うのです。
自分自身を知ること、求めること、それこそ創造の原点です。自らの社会の文化を知らなければ、他の国々から認められる創作活動もできません。昭和夢時代は、戻るのではなく進み続けるための基点を目指
しています。

夢之介拝

美術茶論/click!networkからの御挨拶
明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す

2001年9月11日、ニューヨークのワールドトレードセンターへのテロによって、21世紀の世界の進む方向が決まってしまいました。
日本の経済不況は、出口すら見えなくなり、最も楽観的な予測でさえ、2〜3年は景気の回復は見込めないと変わってきています。
悲観的な予測では、中国の発展によって、日本は再び元の地位を確保することはできないだろうということですが、それでも日本人はまだ本当に追いつめられた気持ちとはほど遠いようです。
変化を口にしながら、基本的な体制を根本的に変えようと行動を起こすことは、何か理由を付けてためらっているように思われます。
国や会社、組織から変わるのではなく、個人個人が自分の責任で物事を対処する気持ちが大切なのではないでしょうか?
インターネットの世界は、日本という国のそういった意識を根本から変えない限り、対応することはできないでしょう。

昨年のテロは、インターネットの世界ではウィルスという形で、さまざまな影響を与えてきました。自己責任という言葉が、目に見える形で突きつけられたと言ってもいいかも知れません。
被害者が知らないうちに加害者となる。誰もが責任を回避することができない状況が、問題意識の無かった私たち自身に突きつけられています。
これで、変わることができるのかどうかで、日本という国が、本当に国際社会で通用することができるようになるのかが、決まると言っても良いでしょう
今回のウィルスによって、問題意識を持った人は、会社などの組織にいる人間ではなく、個人でネットに繋がっている人たちだったように思われます。
会社でウィルスに感染した知り合いは、自分のパソコンに対策を施しましたが、社内の他の人たちがどうしているか関心がありませんでした。社内はLANで結ばれているにもかかわらず、その意味が理解できていなかったのです。
更にその1ヶ月前にも、社内の他の人がウィルスを受け取っていたにもかかわらず、その情報も伝わっていなかったのです。
集団の中にいることによって、温室の花のように、外界の危険は誰かが防いでくれると、自分たちの問題として感じることができなくなっているのでしょう。

クリエイターもフリーで仕事をしている人たちは、自分たちで自分の身を守る以外ありません。
その環境は、大企業の中でさまざまな保護を受けているクリエイターと比べると、大きな差があり、ハンディであることには違いがありませんが、そのような環境であるからこそ、自分を変えていかなければ、生き残れない現実があります。
それ故に、プロとしてみるならば、大きな可能性もあると言えるでしょう。国際的に共通の環境に合わせて、自分を変えることができたなら、仕事の場もインターネットを通して世界に広がるからです。
美術茶論から起きたclick!networkは、Be.Tooというギャラリーの場がインターネットに対応することで、セカンドステージに進むことになりますが、その先のサードステージは、国を越えたものになるでしょう。
日本という国が変わることができないからと言って、個人までそれに合わせる必要はありません。
自分の創造性を信じて、自分の力で進んで行きたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。

2002年01月01日

                               夢之介